知恵袋の悩み相談みたいなのがヤフーのトップページに出るので、時々読むのですが、「なんでそんなこと相談するの?」っていうのが多々あって、しかもそれにたくさん回答がついているのもまた不思議。
たとえば(要約すると)
「最近着物にはまり自分で着られるようになったので、こどものスイミングスクールの送迎に着物を着て行ったところ、知り合いの6歳のこどもに”恥ずかしくないの?”と言われ、いたく傷ついた。
6歳のこどもが言うことに傷つく自分も嫌いだし、だいたい着物を着ることはそんなにおかしいことなのでしょうか?」
スイミングスクールに着て行けば、否が応でも相当目立つことは十分予測できるので、何か言われたり好奇の目で見られるのがいやなら、着ていかなければよい。
こどもに言われたことに対して傷つくかどうかはまぁ人それぞれですし、色々状況にもよるのでしょうが、基本大人は自分の面倒は自分でみなければならないものだ。
「こんな自分が嫌いです」とか謙虚を装って開き直られても。
「そうですか。」としか言いようがない。
・・・と理詰めで結論を出したがるのはいわゆる「男性脳」なのだそうです。
「女性脳」は、相手の気持ちに寄り添ってひたすら「そうなのそうなの。そうだったの。」と共感をし肯定をし、結論はなしなのだそう。
わたしは時と場合によって、使い分けてるなあ。
この質問に同情的なコメントが殺到しているのを見ると、日本は優しい国だ、捨てたもんじゃないねえ、としみじみ思います。
会社で何かしらの方針が決まってゆく過程も、割合従業員や顧客の「感情」の部分が最重要視される場合が多くて、日本は「情の国」=「女性脳の国」なのかもね。
たとえば(要約すると)
「最近着物にはまり自分で着られるようになったので、こどものスイミングスクールの送迎に着物を着て行ったところ、知り合いの6歳のこどもに”恥ずかしくないの?”と言われ、いたく傷ついた。
6歳のこどもが言うことに傷つく自分も嫌いだし、だいたい着物を着ることはそんなにおかしいことなのでしょうか?」
スイミングスクールに着て行けば、否が応でも相当目立つことは十分予測できるので、何か言われたり好奇の目で見られるのがいやなら、着ていかなければよい。
こどもに言われたことに対して傷つくかどうかはまぁ人それぞれですし、色々状況にもよるのでしょうが、基本大人は自分の面倒は自分でみなければならないものだ。
「こんな自分が嫌いです」とか謙虚を装って開き直られても。
「そうですか。」としか言いようがない。
・・・と理詰めで結論を出したがるのはいわゆる「男性脳」なのだそうです。
「女性脳」は、相手の気持ちに寄り添ってひたすら「そうなのそうなの。そうだったの。」と共感をし肯定をし、結論はなしなのだそう。
わたしは時と場合によって、使い分けてるなあ。
この質問に同情的なコメントが殺到しているのを見ると、日本は優しい国だ、捨てたもんじゃないねえ、としみじみ思います。
会社で何かしらの方針が決まってゆく過程も、割合従業員や顧客の「感情」の部分が最重要視される場合が多くて、日本は「情の国」=「女性脳の国」なのかもね。
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