最近、本人の意思表示が不明確でも家族の承諾で脳死後の臓器移植ができるようになったらしく(なんか認識違うかもしれないけどね)、移植のニュースを聞くことが前よりずっと増えましたね。
こういう表現は当事者の方々にとって適切かどうかは、わかりませんが、わたしとしては、死ぬに当たって、何人もの人を救うことができるなんて、自分も成仏できそうというか、人生の最期に徳を積めるというイメージで、かなり興味を持ったのです。
それにどうも、インターネットのHPで意志表示登録?ができるようじゃあ、ありませんか!
このお手軽感もちょっと意外。
それで、早速登録してみたんです。
実際は、インターネットで仮登録したあと、郵送で意思表示カードが送られてきて、再度HPにアクセスして、本登録、というちゃんと何回も考える機会が与えられる仕組みだった。
いったん意思表示した後も、変更もOK。
で、最近カードとリーフレットが送られてきて、改めてちゃんと「脳死」とはどんなものかというのをしみじみ読んだのですが。
結局登録できなかった。
理由は・・・
うちの母も脳死状態になって12時間後に心停止となったのですが、もう脳が完全にやられていて回復の見込みはゼロ。
『数時間後か数日後か数週間後かわからないが、いずれ心停止に至る。』
と医者から説明を受けました。
(ものすごい田舎町の市民病院なせいか、移植うんぬんの話は全く出なかった。)
でも人工呼吸器によってですが、息をしていて、肌も温かく、まるで眠っているようにしか見えないわけです。
ふと目を覚ましそうな気さえする。
大切な人だけに、いずれ心停止するとわかっていても、この状態で臓器摘出することにはとても同意できないというのがわたしの率直な感想です。
せめて息をしている間は、そばにいて別れを惜しんでいたいという感じだったんだよね。
それだけに、突然のことでショックを受けつつも、臓器移植に同意した家族の方々の決断は、言葉で表現できないくらい崇高なものだと思った。
後から思えば、母は内臓はすべて、いたって健康だったので、もし、移植をしていたら、母の臓器が今もどこかの誰かの身体の中で生き続けているわけで、それが何かの励み?になったりしてたのかもしれない・・・という気持ちもあり。
一口には結論出せない難しい問題だなあと改めて思いました。
わたしが脳死する立場になっても、たとえば残される娘とかは同じように思うのではないかと思う。
自分自身の問題としては、死ぬ見込みなのであれば、せめて少しでも人様のお役に立って人生を終えたいと思いますが、やはり残される人の気持ちにもなってやらねばいかんような気もする。
意思表示カードには自署の他に、家族の署名もいるんですねえ。
これがネックだ。
もうしばらくいろいろ考えていよう、と思って、とりあえず本登録は保留。
こういう表現は当事者の方々にとって適切かどうかは、わかりませんが、わたしとしては、死ぬに当たって、何人もの人を救うことができるなんて、自分も成仏できそうというか、人生の最期に徳を積めるというイメージで、かなり興味を持ったのです。
それにどうも、インターネットのHPで意志表示登録?ができるようじゃあ、ありませんか!
このお手軽感もちょっと意外。
それで、早速登録してみたんです。
実際は、インターネットで仮登録したあと、郵送で意思表示カードが送られてきて、再度HPにアクセスして、本登録、というちゃんと何回も考える機会が与えられる仕組みだった。
いったん意思表示した後も、変更もOK。
で、最近カードとリーフレットが送られてきて、改めてちゃんと「脳死」とはどんなものかというのをしみじみ読んだのですが。
結局登録できなかった。
理由は・・・
うちの母も脳死状態になって12時間後に心停止となったのですが、もう脳が完全にやられていて回復の見込みはゼロ。
『数時間後か数日後か数週間後かわからないが、いずれ心停止に至る。』
と医者から説明を受けました。
(ものすごい田舎町の市民病院なせいか、移植うんぬんの話は全く出なかった。)
でも人工呼吸器によってですが、息をしていて、肌も温かく、まるで眠っているようにしか見えないわけです。
ふと目を覚ましそうな気さえする。
大切な人だけに、いずれ心停止するとわかっていても、この状態で臓器摘出することにはとても同意できないというのがわたしの率直な感想です。
せめて息をしている間は、そばにいて別れを惜しんでいたいという感じだったんだよね。
それだけに、突然のことでショックを受けつつも、臓器移植に同意した家族の方々の決断は、言葉で表現できないくらい崇高なものだと思った。
後から思えば、母は内臓はすべて、いたって健康だったので、もし、移植をしていたら、母の臓器が今もどこかの誰かの身体の中で生き続けているわけで、それが何かの励み?になったりしてたのかもしれない・・・という気持ちもあり。
一口には結論出せない難しい問題だなあと改めて思いました。
わたしが脳死する立場になっても、たとえば残される娘とかは同じように思うのではないかと思う。
自分自身の問題としては、死ぬ見込みなのであれば、せめて少しでも人様のお役に立って人生を終えたいと思いますが、やはり残される人の気持ちにもなってやらねばいかんような気もする。
意思表示カードには自署の他に、家族の署名もいるんですねえ。
これがネックだ。
もうしばらくいろいろ考えていよう、と思って、とりあえず本登録は保留。
コメント
アイバンクや腎臓バンクに登録しようとしたことが
ありましたが、家族同意にぶち当たって結局は躊躇し
今もって未登録です。自分自身を突き動かした理由が
家族を同意させられるかどうか、当時は自信が無かった。
老後をいろいろ考える齢になってみれば、自信とかと
次元の違う決断になるんだろうとは思ってるんですが
決定力に欠けて、今に至っても延び延びになっています。
私の長〜い宿題のひとつ。みなとさんの意見も参考にしたいです。
アイバンクや腎バンク、ありましたねえ~~!!
最近全然聞かないですねえ、そう言えば。・・・っていうのは置いといて。
ネットで意思表示登録できるというのは、asahi.comの記事で読んで知ったのですが、その記事によると、ネットで登録できるようになったらむしろ「臓器提供しません。」という登録をする人が増えたとのこと。(真偽は謎ですが)
「しません。」って言い切れる理由も是非知りたいところですよね。