週末のアフロ考第三弾です。

わたしは今だんなに勝手にロボトミー手術をされてしまったデスクトップ(XP)で書いていますが、これもディスプレイがいい加減古くなって(9年目くらい)電源を入れてしばらくたつと文字がにじんでくるのです。
もしこの日記に誤字脱字があるとすれば、画面がぼやけていてよく見えないせいです。
目をつぶってタイプしているのに限りなく等しい状況なのです。
ただスピーカーがいいので、今日買ってきたCDを聴きながら書くためにこれで書いてるわけです。
(いつもはノートパソで書いていることが多い)

アフロなのに繊細にピアノを弾くとか、デブなのに身のこなしが軽いとか、デブなのに言うことが気が利いているとか、
よーく考えると「なのに」の前と後ろには何の関連性もないわけですが、まぁそういうところに意外性を感じて、パパイヤもスキマスイッチも好きなのだと思うのですわ。
たとえば、巨乳なのかと思って脱がしてみたらそれは巨大な乳首だったとか。
そういう意外性はどうですか?

・・・あまり例えがよくないですか。

まぁそれは置いといて、相手の意外性に好奇心を刺激されるということはよくありますよね。
アフロも、アフロがあまりにもわかりやすい決定的な記号となってしまっているがために、中身がどんなでも「意外性」ととらえてしまうのかもしれない。ということは否めない。
そう考えてゆくと、いったいわたしが好きなのは、
アフロという記号なのか。
あるいは、真に中身なのか。

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